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気ままにkakikukekon

芸能ニュースやテレビ番組の事を思うまま気ままに書いてます。                                    マイペースでゆっくり更新です。お気楽に覗きに来てくださいね~♪

カテゴリ: 引退会見


浅田真央

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 元フィギアスケート選手の浅田真央さんが、文化活動で業績をあげた個人や団体に贈られる「第65回菊池寛賞」を受賞されました!

「名誉ある賞を頂けて、うれしいです。これから自分ができることを精いっぱいやっていきたいです」と述べた。

 現役時代は、世界選手権とグランプリ(GP)ファイナルで計7度の優勝、2010年バンクーバー五輪では銀メダルを獲得するなど活躍されました。

菊池寛賞

1952年、文藝春秋創業者・菊池寛が日本文化の各方面に残した功績を記念するための賞として創設。
菊池寛にとって生前関係の深かった文学、演劇、映画、新聞、放送、雑誌・出版、および広く文化活動一般の分野において、その年度に最も清新かつ創造的な業績を上げた人物あるいは団体を対象としている。
受賞者には正賞として置き時計、副賞として賞金100万円が贈呈される。
過去には映画監督の宮崎駿、女優の吉永小百合らが受賞している。


記録よりも記憶
真央さんは賞にこそ恵まれませんでしたが、その分、人々から愛されました。
どの演技も印象に残っています。

バンクーバーオリンピックは銀メダル、ソチオリンピックでは6位入賞。
ゴールドメダルは叶いませんでしたが、その演技は金メダルよりも輝き、ソチではショートプログラムでの失敗を巻き返すかのようなフリープログラムでの鬼気迫る迫真の滑り。
その後の涙。
そして真央スマイルは世界を中をメロメロにしました。


        
 





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伊達公子


会見日時:2017年9月7日
場所:有明コロシアム
報道陣:132人

生年月日:1970年9月28日 
出身地:京都市

現在の心境 
 今はまだ最後の試合が残っているので引退と言うよりは、試合に挑む中でこれまでの時間と同じように、自分のやるべきこと、そしてやらなければいけない事を最優先にしています。ただ体のこと(ケア)に時間を割かなければいけない事が多くなってきていますので、練習量の質など求めることは多くなってきている、その中でも今やれることは。試合当日に体のコンディションをよい状態に持って行くという事。


決断 

 昨年の4月に膝の手術をしまして、5月に復帰戦を果たしましたが、その後なかなか万全と言える状態にはなりませんでした。
それでもきもちが衰えることはなかったですし、気持ちが落ち込んだり、もどかしさを感じることは多くなっては来ていたんですが、それでも時間をかければ必ずできる!と言う思いをずーっと持ち続けていました。
ですが、膝に加えて肩にも問題を抱えるようになってしまい、ドクターと話をし、決断を決意しなければいけない時期なのかなと。


引退試合 ジャパン・ウィメンズ・オープン

自分の体と相談する事、自分の思い、そんなことを考えてると、今の私には東京にしたいという思いが強い。


ファーストキャリア 思いでの試合

90年代のファーストキャリアの中では?

この有明コロシアムで、公式戦ではないですが当時、世界ランキング1位だったグラフと戦って勝利した試合は忘れられない試合です。
有明コロシアムに立ち見のお客さん、入れななかったお客さんが、最後には会場に足を運んで頂いて、当時私は足を怪我していてある子事さえままならない中で戦って。
日本がドイツに勝ったという事、私がナンバーワンだったグラフに初めて勝てたという事。
この試合が1番思い出深いです。
ウィンブルゾンのセミファイナル、日没により2日間にわたって戦ったグラフ選手との準決勝が忘れられない。

グラフ選手
 私にとっては憧れと言うか、その当時は断トツと強さでしたので、もう憧れとは呼べないくらいの存在感と強さを持ち合わせてた。
真のアスリートだったんじゃないかと思います。
ナンバーワンであるべきプレイヤーで、目標とか憧れとか呼びたくても呼べない位の格別な存在です。

セカンドキャリア 思いでの試合
 たくさんあって・・・。
1つ1つがチャレンジの連続だった。
元々は世界レベルを目標に最チャレンジを始めたわけではありませんでした。
全日本選手権を目標にスタートを切ったんですけども、そのための準備としてITFの試合に出た事によってランキングがついてきて、結果気がつけばグランドスラム予選に挑戦できる位置まで来ていて、本選に出ることもできた。この試合も思い出に残っていますけれども、敷いてあげるならば、ウインブルドンのビーナス戦。
勝負には負けてしまったんですけれど、今の女子のパワーテニス、スピードテニスと言われるものに対しての、自分の展開の早いテニス、ネットプレイと言うものをミックスする事によって対抗できることができた。
試合後、たくさんの方たちから言葉をかけて頂いた。

原動力はどこから?
 復帰して9年半。
プレイヤーとして数々の最年長記録を塗り替えてきましたけれども、成長させた原動力は?
テニスが好きで、スポーツが好き、そこに尽きるのかなと思います。
90年代は今とは全く違う選手環境だった。
それを全て受け入れる精神力、器もなかった。
当時で言えばメジャーリーグに居た野茂さん、ゴルフで言えば岡本綾子さんしか海外で戦う人がいなくて、海外メディアから、「野茂を知ってるか?」と聞かれたが、対応する力もなかった。
自分にも強い固定観念があった、それと向き合う事、勝ちたい、勝ち続けなければいけないと思う気持ち、そういうものに耐えられるだけの精神力。
90年代は常にいっぱいいっぱいの中で戦ってきた。
それに疲れ果てていた部分が多かった。
再チャレンジを始めてからはツアーが楽しくて、勝つ事だけが目的ではなかった。
日々起きることに対するチャレンジが楽しくて、必ずしも結果としてつながることが自分の達成感ではなかった。
だから、再チャレンジから9年半も続けられたと思います。

若い選手に刺激
 再チャレンジは若い選手に刺激をという事だった。
2年目からは自分のチャレンジという事が大きくなっていた。
自分がチャレンジしていることを若い選手たちがどう見てくれていたかと言うのは私には計り知れない事ではあります。
何かしらみんなに影響を与えていればいいなと言う思いは持っています。

引退を惜しむ声に対しての思いは?
 それぞれのフィールドで活躍されてるアスリートの皆さんから力強いお言葉を頂けるのは嬉しい事です。テニスと言うのは個人プレイで年齢を超えて活躍できるポーツだと思う。
今は完全復活している30代の選手が少なくない。
そういう姿を今の若い選手たちに示すことは刺激になると思います。
そう言う意味では私自身も少しは示すことはできたのかなと言う思いはあります。
またアスリート以外の人たちにも。
まだまだ女性が生きづらい社会ではありますが、妥協してしまうところ、そこには年齢に関係なく自分がやりたい事を思い続けること、始める事。
そこに少しの勇気を持てば、まだまだ自分の世界は切り開けられるという事は少しでも示すことはできたのかなと言う思いはあります。

あらたなる挑戦は?
 まだ次の試合がありますので、まずはコートに立って100%には程遠いですが、今の自分にできる最大限のプレイをする事、そこに準備をする事、そこにしかエネルギーを使ってないのでまだどうするかまだ考えていなくて。
試合後、心配事は肩になると思うので。
自分に何ができるのか少しずつ考えていきたいと思っています。
1回目の引退の時のように、しばらく何もしたくない、コートも見たくない、ラケットも握りたくないなんて事にはならないと思います。

どのような競技人生だった?
 こんなに幸せなアスリートも、そういないんじゃないかなと思います。
やはり、2度も世界のトップレベルで戦うチャンスを得ることができて。
1度目は当然ランキングにこだわって、自分の目標としてたトップ10。
最高では4位。
トップレベルで戦う事が出来たファーストキャリアと2度目の再チャレンジ後は30代後半から40代前半といいなかでトップ50と言うものをクリアできということは想像できなかった事。
何よりツアーも楽しく、若い選手たちと仲良くツアーを周りながらいっつも冗談を言い合った。
試合も快くしてもらいました。

3度目の復帰の可能性は?
 さすがにそれはないですね。
やれるものなら、ホントにまだやりたいですし、次の試合であれ?案外痛みなくやれちゃうし、引退撤回します、なんて言いたいところなんですけど、今回はそれはないかなと思います。


錦織圭選手からサプライズメッセージ
 伊達さん、お疲れさまでした。今まで僕自身はとても刺激をもらっていましたし、数多くの後輩もみんな刺激をもらって切磋琢磨で来ていたと思います。これからの人生も楽しんで伊達さんらしく、生きていってください。これからもよろしくお願いします。

伊達さんから錦織選手へ返礼

 彼も今苦しんでる時期ですけれども、あの体でトップで戦う事の厳しさ、タフさ。
またそこにいる時間が長くなればなるほど当然難しい事は増えてきてると思います。
私もレベルも時代も違いますけど、トップで居続ける事の難しさって言うのは、同じように感じることはできたし、今の男子の平均身長がかなり高い中で、彼の身長あの体はトップ40でいるこさえ大変なのにトップ10にいる。
いろんな難題をクリアしながら、そして結果を残していくのは難しい事、ここからまた彼には様々な試練が待ち受けていると思うので、体を作り直してもう一度今の位置に戻れる強さと精神力を養っていけるだけのものを作ってほしいと思います。


最後に
 これからまだ引退試合を控えてますので、実感があるような、ないような気持ちの段階ではあるんですけれども、競技者としてテニスコートを去ると言うのは、ホントに淋しいし、残念でならないんですが、一生できるものでないですし自分の中で一つの区切りとして。

 今回の引退は私とテニスを切り離すものではないですしこれからもテニスと向き合って、どういう形になるかは時間をかけて考えていきたいと思っていますが、テニスに対する思いはずっと持ち続けて。
これからも自分の隣にテニスはあるという人生にしていきたいと思っているので、そう思うとそんなに淋しくないのかなと思うのと、ただこれからツアー仲間やスタッフ、審判の人とかそれぞれの国にいくと必ず会えてた人達の顔ももう見れないのかなと思うと淋しいと思うんですけれど、とは言え2度も達成感を感じる日々を経験できたことは、何にも代えられないものなんじゃないかなと。
 
 ほんとにテニスに出会えてよかったと思います。

 最後の試合、どこまで自分らしさを出せるかわからないですが、強い思いだけは心の中に持ってコートに立ちたいと思います。
皆さんの記憶に残る、目に留めて頂けるように。
多くの人に会場に足を運んでいただいて、皆さんと時間を共有できたらと思います。
ありがとうございました。

 1度目の引退会見よりも笑顔の多い引退会見でした。
ステキに年月を重ねられてる大人の女性。
ステキな伊達公子さんでした。
これからもますます輝かれる事間違いないですね。

        



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黒田博樹 
 
「満足できる野球人生だった」

黒田

会見日時:2016年11月4日
報道陣:150人
TVカメラ:15台
時間:6分

生年月日:
1975年2月10日 (42歳)
出身地:大阪市住之江区
身長:185cm
体重:
92 kg
学歴:専修大学


現在は野球解説者。

父は元プロ野球選手の黒田一博。
日本人投手で史上初めてNPB/MLB通算先発勝利数のみで200勝を達成した投手。
また、NPB/MLB40球団勝利を記録した唯一人の日本人選手でもある。

        



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宮里 藍 

 これ以上ないゴルフ人生だった
宮里藍

会見日:2017年5月29日
会見時間:約46分
報道陣:およそ300人
テレビカメラ:40台
スチールカメラ:60台
会場:京王プラザホテル 本館4F「花」

宮里藍 会見1

京王プラザ


生年月日:
1985年6月19日 (31歳)

出身地:沖縄県東村
身長:157 cm

血液型:B型

日本の女子プロゴルファー。
愛称は「藍ちゃん」。
サントリー所属。

キュートなルックスで人気を集め、2003年にプロ転向。

日本ツアー15勝を挙げ、2006年から本格参戦した米ツアーでは通算9勝を挙げた。
一時はドライバーに苦しむなど、どん底も経験したが、2010年には世界ランク1位に輝く成績を残した。


引退の理由
モチベーションの維持が難しくなったのが一番の決め手。そう感じたのが4、5年前。
自分の中でもどうしていいのか手探りで進むしかなくなり、メンタルコーチに相談したら、色んな選手にそういう時期あるから頑張ればいいと。チームとも、モチベーションを戻せるように頑張ろうとしてきたけど、トレーニングでも自分を追い込むことができなくなってしまった。プロとして結果は残したかったが、自分が求めている理想としている姿はそこにはなかったのでこういう形になりました。



一問一答
「(引退表明で)自分が思っているより反響があり、驚いています」
昨年の夏頃に現役選手を引退するという事を決めました。表明してからはファンの方、スポンサーさん友人いろんな方から声をかけて頂いて胸がいっぱいです。

休養と言う形をとって何年か後に帰ってくるという事は選択肢になかったの?

-今のところそれはないですね。第一線で結果を残していくというのはものすごいエネルギーがいる、プロの世界はそんなに甘い世界ではないので。一度自分の中で限界を感じてしまっているので、今のところ復帰は100%ないです。
お世話になったゴルフの世界で、違った形で恩返しができたらいいなと思っています。

周囲の人たちが温かく自分の引退の決意を受け入れてくれたので嬉しかったです。

第2の人生は?

-次の道を決めてからじゃないと引退できないと思っていたが、逆に現役を退いてからでないと自分に何ができるのかという、可能性の広がり方も違ってくるんじゃないかと思えて。
年内はエネルギーの全てを残りの試合に注ぎます。
今年いっぱいと期限を設けたことで、今は最後勝って終わりたいという気持ちで逆にモチベーションになっている。

ご結婚の予定は?

-(笑)結婚はないです。

宮里藍に取ってゴルフとは何ですか?

-人生において大切なもの内容の濃い時間そ過ごしてきました、人生がより豊かになったと思っています。
感謝しています。

今後の拠点は、日本?アメリカ?

-それもまだ決めてないです。決めてないという言い方もできます。

モチベーションを保てなかった要因は?

-2012年の後半、ピークを迎えてる感覚があったのにメジャー優勝できなかった、それで自分を見失った。

座右の銘は?

-意思ある所に道がある

宮里藍さんから皆さんへ

-約15年間プロの選手としてプレイしてきて、たくさんの方にサポートしていただいて嬉しかったし、選手としても幸せな事だったなと思っています。引き際に対しての淋しさといったものはなく、感謝の気持ちを持って最後までプレイできる事はほんとにありがたく思っています。残りシーズンも頑張っていきます。途中、声を詰まらせる時もあったが、報道陣たちの温かい拍手で見送られ笑顔で会見場を後にした。

         



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村上佳菜子

2017年4月23日、国別対抗戦のエキシビションにゲスト出演し現役引退を発表しました。
この舞台のスケートがが選手としては最後になりました。

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名前:村上佳菜子(むらかみかなこ)
生年月日:1994年11月7日
所属:中京大学
コーチ: 山田満知子先生・樋口美穂子先生


・自己ベストスコア

トータルスコア:196.91(四大陸選手権2014)
ショートプログラム:68.51(四大陸選手権2016)
フリースケーティング:132.18(四大陸選手権2014)

        ● 直筆引退メッセージ全文

本日をもちまして、私、村上佳菜子は19年間続けてきた現役を引退することを決意致しました。
ソチオリンピックが終わってからの3年間、思うような結果を出せずとても苦しい毎日でした。
先シーズンに至っては練習をどれだけ重ねても、思うような結果に繋げることができず、自分自身、何のためにやっているのかわからなくなっていた時期もありました。
しかし、このままでは終われないという強い気持ちがあったからこそ、ここまで続けることができ、昨年の12月末に開催された全日本選手権の前から、最後になってもいい、自分の納得できる演技をしたいと心に決め、自分が納得できる演技とは何かを日々考えました。
結果として、先生方とも話し合い、選手としてとても悔しい決断ではありましたが、ジャンプのレベルを落としてでも見に来てくださる方々の心に残る演技をしたい!!と強く思い、それを目標に練習に励みました。
試合後には多くの方にすごく良かった!!と言って頂き、何より先生たちが喜んでいる姿を久しぶりに見て胸がいっぱいになりました。
その日から今までずっと張っていた糸が切れたように…ここで終わろうと心から決心することができ、引退することを決意しました。
思い返せば私のスケート人生は浮き沈みが激しく、今まで応援してきてくださった皆さまにもたくさんご迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ただ皆さまの応援は私の支えであり、原動力でした。
言葉では伝えきれないほど、感謝しています。
いままで、たくさんの応援本当にありがとうございました。
これからは様々な形でフィギュアスケートに携わっていきたいと思っております。
社会人の仲間入りをしました新しい村上佳菜子をこれからも見ていただけるよう、応援していただけるよう、より一層努力してまいりますのでこれからもどうぞよろしくお願い致します。

村上佳菜子



kanako

佳菜子スマイルと言われるほどの笑顔美人です。

意外ですが大変なあがり症で、試合の前は胸に手をあて、おじい様から教えられたおまじないをつぶやくそうです。

子どもの頃から浅田真央選手に憧れずっと追いかけ、自身も世界のトップスケーターと競い合う選手に登りつめました。

第2の浅田真央と言われることもありましたが、″村上佳菜子さん″は″村上佳菜子さん″としての輝きを放つ魅力あふれるスケーターだったと思います。

佳菜子さん、本当にお疲れさまでした。

これからのご活躍を期待しています。




         



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