1996年7月14日
君島ブランドの創業者、君島一郎氏の突然の死によって兄弟の確執が生まれた。
君島一郎氏には2人の息子さんがいらっしゃいます。
嫡子の君島 立洋氏(長男)
非嫡子の君島 明氏(次男)
(写真:君島 立洋氏)
(写真:君島 明氏、君島十和子さんの旦那様です)
お互いにその存在を知りつつも、初めて顔を合わせたのは霊安室だった。
葬儀は本妻が喪主、長男の立洋氏は執行役を務めました。
今回、当時は無言を貫いていた君島明さん、現在のお名前は誉幸(たかゆき)さん君島一郎氏の二男が、電話で生出演!!
今まで無言を貫いたが始めて語る。
世間では倒産とか言われているがそうではなく廃業だった。
そこははっきりさせておきたい。
今日の電話出演は妻の十和子さんもご存じで「事実をお話ししたら」と十和子さんから背中を押されて、電話での生出演となりました。
明氏への質問
兄がいることをいつ知ったの?
→「20代後半に、父一郎から手紙が来て、高級なお寿司屋さんで食事をしながら聞かされた。
まぁ、普通の家庭とは違うなと感じてはいた。
父は言いにくそうにボソっと異母兄弟がいる、といろいろ言い繕っていた。
立洋氏と会ったのは霊安室と葬儀の時だけ。
話しかけたが返答はなかったと記憶している。
『あぁこういう人なんだ、自分とは違う感じの人だと思ったが、特殊な状況下なのでそれも仕方ないかも』と思った」。
立洋氏から資金援助の話は知っていた?
→「資金援助は初耳。
協力して頂けるならそれは考えたと思う。
創業者だけではなく父はデザイナーでもあったから引き継いだ会社を経営するのは大変だった。
当時は墜落する飛行機のように、被害を少なくできるソフトランニングだけを考えていた。
資金援助を伝えられなかったというのが本当なら誰かの意図を感じる。
君島はブランドがつまずいたというよりは家族関係がつまずいた。
後継者が私に決まったのも、どういう事か私にはわからない。」
君島一郎の遺産は50億円と言われている。
自社ビル、南青山の自宅、1000坪の山中湖の別荘、株、デザインの権利など 財産の振り分けは?
→ 「 プラスの部分は、振り分け 。 マイナスは全部私(明)だった。そりゃきつかったですよ。
マイナスの財産は全部私が相続した。
それでも無言を貫いたのは、いろんなことを言う事で騒ぎになる、信頼をなくす。それは避けたかった。」
明さん男ですねー、ご立派でした。
一方、兄の立洋さん、スタジオには来られてたので、お話するつもりだったのかもしれませんが、結局、お電話にも出られず、直接の対話はありませんでした。
複雑なお気持ちなのでしょう。
父、君島一郎の遺言で後継者は二男の明氏に、役員に十和子さん。
立洋氏のお話
→高校の時に父一郎氏から弟、明さんの存在を聞かされた。
明さんとは話をしたことない、火葬場であった時、お行儀がよくなかったので注意した。
君島ブランドが崩壊するのは、ある程度分かっていたが思っていたより早く崩壊したのでびっくりした。
資金援助を申し入れたが受け入れられなかった。
爆笑問題の田中さんから、異論反論などありませんか?と、促されるも「無言」。
直接対話は避ける。
それを受けて明氏は「いまさら対立するつもりはないのでもういいですよ」。と大人の対応。
18年前・・・マスコミが 異母兄弟の確執を追いかけまわした時はノーコメントを貫いた明氏。
一方、長男の立洋氏は当時は、インタビューを受けていたが今は無言。
当時と今回では真逆ですね。
スタジオに来られてたので、明氏と何かお話はされたかったと思うのですが・・・。
当時の立洋氏は、母親の立場を言わないといけない、事実と違う事があればお母様の為にとインタビューを受けていたそうです。
立洋さんは「会社の立場ではない、母親のことを正しく理解してほしい」というお気持ちだったそうです。
母親思いです。
当時明氏に対して「少しくらい話せばマスコミも落ち着くから話せばいいのに」という思いがあった」と。
一方明氏は当時、「なぜメディアにだけ言って、直接言ってくれないんだろう」と思っていた。
明氏は 「 当時自分が話さなかったのは、対立とか骨肉争いのの構図を作ってはいけないと思い、 また公共の場で話すことではないとも思っていた。それに会社、家族を守りたかった。」
オートクチュールブランドを一代で築いた父一郎に対してどんな思い?
立洋氏
→半年で副社長を辞任することなった。父に愛人がいてお店に内緒で商品を渡していた。
自分としてはややこしいことから身を引きスキャンダルから逃れた。
父は経営者としては、やり手だった。尊敬はしていた。母は裏切られていた。と話された。
明氏
→父は激しい人だった。
今となっては、悪い印象はない。
歪みやねたみは修正できなかった。
父にはちゃんとしていてほしかったというのは本音。
大塚家具のお家騒動に関して
立洋氏
→当事者どうしで最善をつくした。
親子はつながっている。親と子の縁はきれない。
現在の立洋氏はデザイナー兼社長として海外にも活躍の場を広げている。
明氏
→ああいうお父様とお仕事をするのは、きついだろう。
創業者は「俺はこれでやってきた」という思いがお強い。
時代とともに合わなくなってきていても周りの社員は言えなかったりするので・・・。
お二人とも本当にご苦労されて・・・。
これから、何かのきっかけで関係が修復されるといいですね^v^
十和子さんと明さんとの素敵なエピソードが紹介されています。
十和子道 第9回「すぐに離婚するといわれた結婚生活が20年続いた理由」
(許可をいただいてリンクを貼っています)
最後に、十和子さんが出された本の紹介です。
私の日々の暮らしを、家の中でとにかく私の私服で、 普段食べてるものそれから気にしている、例えばお化粧ではなくて、肌のためにしている事とか今のありのままの等身大の私を盛り込んだのがこの『十和子道』という本です。
もう1冊は、私が仕事をしていく上で、子供を育てていく上で色んな悩みにぶち当たった時 『私が決めてきたこと』
こうやって決心を決めてきた、こうやって舵を取ってきたっていう精神的なことを書かせていただきました。
にほんブログ村
にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。