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会見日時:2017年9月7日
場所:有明コロシアム
報道陣:132人
生年月日:1970年9月28日
出身地:京都市
現在の心境
今はまだ最後の試合が残っているので引退と言うよりは、試合に挑む中でこれまでの時間と同じように、自分のやるべきこと、そしてやらなければいけない事を最優先にしています。ただ体のこと(ケア)に時間を割かなければいけない事が多くなってきていますので、練習量の質など求めることは多くなってきている、その中でも今やれることは。試合当日に体のコンディションをよい状態に持って行くという事。
決断
昨年の4月に膝の手術をしまして、5月に復帰戦を果たしましたが、その後なかなか万全と言える状態にはなりませんでした。
それでもきもちが衰えることはなかったですし、気持ちが落ち込んだり、もどかしさを感じることは多くなっては来ていたんですが、それでも時間をかければ必ずできる!と言う思いをずーっと持ち続けていました。
ですが、膝に加えて肩にも問題を抱えるようになってしまい、ドクターと話をし、決断を決意しなければいけない時期なのかなと。
引退試合 ジャパン・ウィメンズ・オープン
自分の体と相談する事、自分の思い、そんなことを考えてると、今の私には東京にしたいという思いが強い。
ファーストキャリア 思いでの試合
90年代のファーストキャリアの中では?
この有明コロシアムで、公式戦ではないですが当時、世界ランキング1位だったグラフと戦って勝利した試合は忘れられない試合です。
有明コロシアムに立ち見のお客さん、入れななかったお客さんが、最後には会場に足を運んで頂いて、当時私は足を怪我していてある子事さえままならない中で戦って。
日本がドイツに勝ったという事、私がナンバーワンだったグラフに初めて勝てたという事。
この試合が1番思い出深いです。
ウィンブルゾンのセミファイナル、日没により2日間にわたって戦ったグラフ選手との準決勝が忘れられない。
グラフ選手
私にとっては憧れと言うか、その当時は断トツと強さでしたので、もう憧れとは呼べないくらいの存在感と強さを持ち合わせてた。
真のアスリートだったんじゃないかと思います。
ナンバーワンであるべきプレイヤーで、目標とか憧れとか呼びたくても呼べない位の格別な存在です。
セカンドキャリア 思いでの試合
たくさんあって・・・。
1つ1つがチャレンジの連続だった。
元々は世界レベルを目標に最チャレンジを始めたわけではありませんでした。
全日本選手権を目標にスタートを切ったんですけども、そのための準備としてITFの試合に出た事によってランキングがついてきて、結果気がつけばグランドスラム予選に挑戦できる位置まで来ていて、本選に出ることもできた。この試合も思い出に残っていますけれども、敷いてあげるならば、ウインブルドンのビーナス戦。
勝負には負けてしまったんですけれど、今の女子のパワーテニス、スピードテニスと言われるものに対しての、自分の展開の早いテニス、ネットプレイと言うものをミックスする事によって対抗できることができた。
試合後、たくさんの方たちから言葉をかけて頂いた。
原動力はどこから?
復帰して9年半。
プレイヤーとして数々の最年長記録を塗り替えてきましたけれども、成長させた原動力は?
テニスが好きで、スポーツが好き、そこに尽きるのかなと思います。
90年代は今とは全く違う選手環境だった。
それを全て受け入れる精神力、器もなかった。
当時で言えばメジャーリーグに居た野茂さん、ゴルフで言えば岡本綾子さんしか海外で戦う人がいなくて、海外メディアから、「野茂を知ってるか?」と聞かれたが、対応する力もなかった。
自分にも強い固定観念があった、それと向き合う事、勝ちたい、勝ち続けなければいけないと思う気持ち、そういうものに耐えられるだけの精神力。
90年代は常にいっぱいいっぱいの中で戦ってきた。
それに疲れ果てていた部分が多かった。
再チャレンジを始めてからはツアーが楽しくて、勝つ事だけが目的ではなかった。
日々起きることに対するチャレンジが楽しくて、必ずしも結果としてつながることが自分の達成感ではなかった。
だから、再チャレンジから9年半も続けられたと思います。
若い選手に刺激
再チャレンジは若い選手に刺激をという事だった。
2年目からは自分のチャレンジという事が大きくなっていた。
自分がチャレンジしていることを若い選手たちがどう見てくれていたかと言うのは私には計り知れない事ではあります。
何かしらみんなに影響を与えていればいいなと言う思いは持っています。
引退を惜しむ声に対しての思いは?
それぞれのフィールドで活躍されてるアスリートの皆さんから力強いお言葉を頂けるのは嬉しい事です。テニスと言うのは個人プレイで年齢を超えて活躍できるポーツだと思う。
今は完全復活している30代の選手が少なくない。
そういう姿を今の若い選手たちに示すことは刺激になると思います。
そう言う意味では私自身も少しは示すことはできたのかなと言う思いはあります。
またアスリート以外の人たちにも。
まだまだ女性が生きづらい社会ではありますが、妥協してしまうところ、そこには年齢に関係なく自分がやりたい事を思い続けること、始める事。
そこに少しの勇気を持てば、まだまだ自分の世界は切り開けられるという事は少しでも示すことはできたのかなと言う思いはあります。
あらたなる挑戦は?
まだ次の試合がありますので、まずはコートに立って100%には程遠いですが、今の自分にできる最大限のプレイをする事、そこに準備をする事、そこにしかエネルギーを使ってないのでまだどうするかまだ考えていなくて。
試合後、心配事は肩になると思うので。
自分に何ができるのか少しずつ考えていきたいと思っています。
1回目の引退の時のように、しばらく何もしたくない、コートも見たくない、ラケットも握りたくないなんて事にはならないと思います。
どのような競技人生だった?
こんなに幸せなアスリートも、そういないんじゃないかなと思います。
やはり、2度も世界のトップレベルで戦うチャンスを得ることができて。
1度目は当然ランキングにこだわって、自分の目標としてたトップ10。
最高では4位。
トップレベルで戦う事が出来たファーストキャリアと2度目の再チャレンジ後は30代後半から40代前半といいなかでトップ50と言うものをクリアできということは想像できなかった事。
何よりツアーも楽しく、若い選手たちと仲良くツアーを周りながらいっつも冗談を言い合った。
試合も快くしてもらいました。
3度目の復帰の可能性は?
さすがにそれはないですね。
やれるものなら、ホントにまだやりたいですし、次の試合であれ?案外痛みなくやれちゃうし、引退撤回します、なんて言いたいところなんですけど、今回はそれはないかなと思います。
錦織圭選手からサプライズメッセージ
伊達さん、お疲れさまでした。今まで僕自身はとても刺激をもらっていましたし、数多くの後輩もみんな刺激をもらって切磋琢磨で来ていたと思います。これからの人生も楽しんで伊達さんらしく、生きていってください。これからもよろしくお願いします。
伊達さんから錦織選手へ返礼
彼も今苦しんでる時期ですけれども、あの体でトップで戦う事の厳しさ、タフさ。
またそこにいる時間が長くなればなるほど当然難しい事は増えてきてると思います。
私もレベルも時代も違いますけど、トップで居続ける事の難しさって言うのは、同じように感じることはできたし、今の男子の平均身長がかなり高い中で、彼の身長あの体はトップ40でいるこさえ大変なのにトップ10にいる。
いろんな難題をクリアしながら、そして結果を残していくのは難しい事、ここからまた彼には様々な試練が待ち受けていると思うので、体を作り直してもう一度今の位置に戻れる強さと精神力を養っていけるだけのものを作ってほしいと思います。
最後に
これからまだ引退試合を控えてますので、実感があるような、ないような気持ちの段階ではあるんですけれども、競技者としてテニスコートを去ると言うのは、ホントに淋しいし、残念でならないんですが、一生できるものでないですし自分の中で一つの区切りとして。
今回の引退は私とテニスを切り離すものではないですしこれからもテニスと向き合って、どういう形になるかは時間をかけて考えていきたいと思っていますが、テニスに対する思いはずっと持ち続けて。
これからも自分の隣にテニスはあるという人生にしていきたいと思っているので、そう思うとそんなに淋しくないのかなと思うのと、ただこれからツアー仲間やスタッフ、審判の人とかそれぞれの国にいくと必ず会えてた人達の顔ももう見れないのかなと思うと淋しいと思うんですけれど、とは言え2度も達成感を感じる日々を経験できたことは、何にも代えられないものなんじゃないかなと。
ほんとにテニスに出会えてよかったと思います。
最後の試合、どこまで自分らしさを出せるかわからないですが、強い思いだけは心の中に持ってコートに立ちたいと思います。
皆さんの記憶に残る、目に留めて頂けるように。
多くの人に会場に足を運んでいただいて、皆さんと時間を共有できたらと思います。
ありがとうございました。
1度目の引退会見よりも笑顔の多い引退会見でした。
ステキに年月を重ねられてる大人の女性。
ステキな伊達公子さんでした。
これからもますます輝かれる事間違いないですね。
場所:有明コロシアム
報道陣:132人
生年月日:1970年9月28日
出身地:京都市
現在の心境
今はまだ最後の試合が残っているので引退と言うよりは、試合に挑む中でこれまでの時間と同じように、自分のやるべきこと、そしてやらなければいけない事を最優先にしています。ただ体のこと(ケア)に時間を割かなければいけない事が多くなってきていますので、練習量の質など求めることは多くなってきている、その中でも今やれることは。試合当日に体のコンディションをよい状態に持って行くという事。
決断
昨年の4月に膝の手術をしまして、5月に復帰戦を果たしましたが、その後なかなか万全と言える状態にはなりませんでした。
それでもきもちが衰えることはなかったですし、気持ちが落ち込んだり、もどかしさを感じることは多くなっては来ていたんですが、それでも時間をかければ必ずできる!と言う思いをずーっと持ち続けていました。
ですが、膝に加えて肩にも問題を抱えるようになってしまい、ドクターと話をし、決断を決意しなければいけない時期なのかなと。
引退試合 ジャパン・ウィメンズ・オープン
自分の体と相談する事、自分の思い、そんなことを考えてると、今の私には東京にしたいという思いが強い。
ファーストキャリア 思いでの試合
90年代のファーストキャリアの中では?
この有明コロシアムで、公式戦ではないですが当時、世界ランキング1位だったグラフと戦って勝利した試合は忘れられない試合です。
有明コロシアムに立ち見のお客さん、入れななかったお客さんが、最後には会場に足を運んで頂いて、当時私は足を怪我していてある子事さえままならない中で戦って。
日本がドイツに勝ったという事、私がナンバーワンだったグラフに初めて勝てたという事。
この試合が1番思い出深いです。
ウィンブルゾンのセミファイナル、日没により2日間にわたって戦ったグラフ選手との準決勝が忘れられない。
グラフ選手
私にとっては憧れと言うか、その当時は断トツと強さでしたので、もう憧れとは呼べないくらいの存在感と強さを持ち合わせてた。
真のアスリートだったんじゃないかと思います。
ナンバーワンであるべきプレイヤーで、目標とか憧れとか呼びたくても呼べない位の格別な存在です。
セカンドキャリア 思いでの試合
たくさんあって・・・。
1つ1つがチャレンジの連続だった。
元々は世界レベルを目標に最チャレンジを始めたわけではありませんでした。
全日本選手権を目標にスタートを切ったんですけども、そのための準備としてITFの試合に出た事によってランキングがついてきて、結果気がつけばグランドスラム予選に挑戦できる位置まで来ていて、本選に出ることもできた。この試合も思い出に残っていますけれども、敷いてあげるならば、ウインブルドンのビーナス戦。
勝負には負けてしまったんですけれど、今の女子のパワーテニス、スピードテニスと言われるものに対しての、自分の展開の早いテニス、ネットプレイと言うものをミックスする事によって対抗できることができた。
試合後、たくさんの方たちから言葉をかけて頂いた。
原動力はどこから?
復帰して9年半。
プレイヤーとして数々の最年長記録を塗り替えてきましたけれども、成長させた原動力は?
テニスが好きで、スポーツが好き、そこに尽きるのかなと思います。
90年代は今とは全く違う選手環境だった。
それを全て受け入れる精神力、器もなかった。
当時で言えばメジャーリーグに居た野茂さん、ゴルフで言えば岡本綾子さんしか海外で戦う人がいなくて、海外メディアから、「野茂を知ってるか?」と聞かれたが、対応する力もなかった。
自分にも強い固定観念があった、それと向き合う事、勝ちたい、勝ち続けなければいけないと思う気持ち、そういうものに耐えられるだけの精神力。
90年代は常にいっぱいいっぱいの中で戦ってきた。
それに疲れ果てていた部分が多かった。
再チャレンジを始めてからはツアーが楽しくて、勝つ事だけが目的ではなかった。
日々起きることに対するチャレンジが楽しくて、必ずしも結果としてつながることが自分の達成感ではなかった。
だから、再チャレンジから9年半も続けられたと思います。
若い選手に刺激
再チャレンジは若い選手に刺激をという事だった。
2年目からは自分のチャレンジという事が大きくなっていた。
自分がチャレンジしていることを若い選手たちがどう見てくれていたかと言うのは私には計り知れない事ではあります。
何かしらみんなに影響を与えていればいいなと言う思いは持っています。
引退を惜しむ声に対しての思いは?
それぞれのフィールドで活躍されてるアスリートの皆さんから力強いお言葉を頂けるのは嬉しい事です。テニスと言うのは個人プレイで年齢を超えて活躍できるポーツだと思う。
今は完全復活している30代の選手が少なくない。
そういう姿を今の若い選手たちに示すことは刺激になると思います。
そう言う意味では私自身も少しは示すことはできたのかなと言う思いはあります。
またアスリート以外の人たちにも。
まだまだ女性が生きづらい社会ではありますが、妥協してしまうところ、そこには年齢に関係なく自分がやりたい事を思い続けること、始める事。
そこに少しの勇気を持てば、まだまだ自分の世界は切り開けられるという事は少しでも示すことはできたのかなと言う思いはあります。
あらたなる挑戦は?
まだ次の試合がありますので、まずはコートに立って100%には程遠いですが、今の自分にできる最大限のプレイをする事、そこに準備をする事、そこにしかエネルギーを使ってないのでまだどうするかまだ考えていなくて。
試合後、心配事は肩になると思うので。
自分に何ができるのか少しずつ考えていきたいと思っています。
1回目の引退の時のように、しばらく何もしたくない、コートも見たくない、ラケットも握りたくないなんて事にはならないと思います。
どのような競技人生だった?
こんなに幸せなアスリートも、そういないんじゃないかなと思います。
やはり、2度も世界のトップレベルで戦うチャンスを得ることができて。
1度目は当然ランキングにこだわって、自分の目標としてたトップ10。
最高では4位。
トップレベルで戦う事が出来たファーストキャリアと2度目の再チャレンジ後は30代後半から40代前半といいなかでトップ50と言うものをクリアできということは想像できなかった事。
何よりツアーも楽しく、若い選手たちと仲良くツアーを周りながらいっつも冗談を言い合った。
試合も快くしてもらいました。
3度目の復帰の可能性は?
さすがにそれはないですね。
やれるものなら、ホントにまだやりたいですし、次の試合であれ?案外痛みなくやれちゃうし、引退撤回します、なんて言いたいところなんですけど、今回はそれはないかなと思います。
錦織圭選手からサプライズメッセージ
伊達さん、お疲れさまでした。今まで僕自身はとても刺激をもらっていましたし、数多くの後輩もみんな刺激をもらって切磋琢磨で来ていたと思います。これからの人生も楽しんで伊達さんらしく、生きていってください。これからもよろしくお願いします。
伊達さんから錦織選手へ返礼
彼も今苦しんでる時期ですけれども、あの体でトップで戦う事の厳しさ、タフさ。
またそこにいる時間が長くなればなるほど当然難しい事は増えてきてると思います。
私もレベルも時代も違いますけど、トップで居続ける事の難しさって言うのは、同じように感じることはできたし、今の男子の平均身長がかなり高い中で、彼の身長あの体はトップ40でいるこさえ大変なのにトップ10にいる。
いろんな難題をクリアしながら、そして結果を残していくのは難しい事、ここからまた彼には様々な試練が待ち受けていると思うので、体を作り直してもう一度今の位置に戻れる強さと精神力を養っていけるだけのものを作ってほしいと思います。
最後に
これからまだ引退試合を控えてますので、実感があるような、ないような気持ちの段階ではあるんですけれども、競技者としてテニスコートを去ると言うのは、ホントに淋しいし、残念でならないんですが、一生できるものでないですし自分の中で一つの区切りとして。
今回の引退は私とテニスを切り離すものではないですしこれからもテニスと向き合って、どういう形になるかは時間をかけて考えていきたいと思っていますが、テニスに対する思いはずっと持ち続けて。
これからも自分の隣にテニスはあるという人生にしていきたいと思っているので、そう思うとそんなに淋しくないのかなと思うのと、ただこれからツアー仲間やスタッフ、審判の人とかそれぞれの国にいくと必ず会えてた人達の顔ももう見れないのかなと思うと淋しいと思うんですけれど、とは言え2度も達成感を感じる日々を経験できたことは、何にも代えられないものなんじゃないかなと。
ほんとにテニスに出会えてよかったと思います。
最後の試合、どこまで自分らしさを出せるかわからないですが、強い思いだけは心の中に持ってコートに立ちたいと思います。
皆さんの記憶に残る、目に留めて頂けるように。
多くの人に会場に足を運んでいただいて、皆さんと時間を共有できたらと思います。
ありがとうございました。
1度目の引退会見よりも笑顔の多い引退会見でした。
ステキに年月を重ねられてる大人の女性。
ステキな伊達公子さんでした。
これからもますます輝かれる事間違いないですね。
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