千代の富士:力士
●受賞時の年齢:34才
●受賞日:1989年9月29日
●受賞事由:通算勝ち星最高記録更新。相撲界への著しい貢献。
●他の栄典:従四位、旭日中綬章
*従四位(じゅしい):日本の位階及び神階における位のひとつ 現在は功績のある物故者に位階が発令されており、公務員として功績のある者や、旭日中綬章(きょくじつちゅうじゅしょう)など(旧勲三等)を受けた芸術家、学術研究に功績のある学者、芸能・文化活動に功績のある芸能人などが叙せられている
*旭日中綬章(きょくじつちゅうじゅしょう)
公職では、大臣政務官、衆議院常任委員長、参議院常任委員長、衆議院特別委員長、参議院特別委員長または国会議員、都道府県知事、さらに、政令指定都市の市長をはじめとする市長や特別区の区長、百々不県議会議員、市議会議員、特別区の議員が対象となる。公益団体では全国的に活動している団体の長、企業経営者では経済社会の発展に対する寄与が特に大きい企業の最高責任者が対象となる。伝達は所管大臣。
◆国民栄誉賞受賞者◆ 8人目
・本名:秋元貢
・生年月日:1955年6月1日
・体重:126 kg
・第58代横綱。本名・秋元 貢
・娘はモデルの秋元梢
「体力の限界っ」と吐き出すように言われた引退会見がとても印象的でした。
引退後は年寄陣幕を襲名。
21年の土俵生活でした。
小さいお相撲さんでしたが、大相撲史上初の通算勝利1,000勝、53連勝、幕内優勝31回など数々の大記録を残されました。
千代の富士と小錦の本場所の通算成績は小錦の9勝20敗で千代の富士に軍配。
千代の富士さんが亡くなられた時の小錦さんのコメント:「負けて元々、勝ったらラッキー。雲の上の存在で、横綱と当たることだけで凄いことだった」
土俵の外でも教わる事が多かった「強い時はいろんな人が寄ってくる。弱くなった時に残っている人が本当に信じていい人」と教わった。「ありがとう、お世話になりましたという感謝しかない」と声を振り絞った。
◆国民栄誉賞とは◆
内閣総理大臣表彰の一つ。
1977年(昭和52)8月30日内閣総理大臣の決裁により設けられた。
この表彰は、広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉をたたえることを目的として設立された。
表彰にあたっては、表彰状および盾が授与され、記念品または金一封を添えることができることとなっている。[内閣総理大臣官房人事課]
千代の富士さんに贈られたのは鈴木三成の青瓷壷です。
記念撮影に臨む横綱千代の富士(中央)、右が海部首相、左は久美子夫人
国民栄誉賞の受賞者には『表彰状と盾』の授与に加え、『記念品または金一封』を添えることができる』とされています。
これまでの国民栄誉賞受賞者にはすべて記念品が贈呈されています。賞金に当たる金一封を受け取った方はいらっしゃらないそうです。
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